武道・武術に対するリアリティー。
最近のニュースで、若い女性が白昼堂々と自宅前で殺傷されるという痛ましい事件がありました。
九州でも同じようなストーカー殺傷事件がありました。
ストーカーなどの被害者の方々は何度も警察に相談をしていますが、警察は事件にならないと動けませんので、相手に対して注意勧告くらいしかできないのが現状です。
異例で接近禁止命令などもありますが、理性の制御ができなくなった若者が「はい!分かりました!二度としません!」と、その場では言っても実際に素直に従って改心するとも限りません。
大きな過ちを犯してしまっても、ゲームのように人生を【リセット】できるとでも思っているのでしょうか、何とも嘆かわしい事が最近目立つ御時勢です。
対する被害者側ですが、過去に怖い経験をされた人や、いじめや暴力に対し弱い立場の人達が、そんな時に自分の身を守るためにと考えて行くと、防犯グッズもそうですが、他にも「武道をやってみようかな・・・。」などの選択肢があったりします。
いきなり打撃系はちょっと怖いイメージでしょうし、そんな時の手頃な護身術の代名詞として上がるひとつに合気道がありますよね。
では、今回はその武道に対してのリアリティーについて書いてみようと思います。
事件など多発している現状に対してのブログですので、少々ディープな内容になりますがご容赦ください。
合気道の理想は、争う事を無にする事を主体としています。
襲って来た相手と戦うのでは無く、相手の攻撃を静止させる、所謂、相手を制圧する。
私も実戦からの利害性を知っていますので、確かに相手の戦意喪失を促すのには、合気道は特化している武道と思います。
ですので、熟練すれば非常に役立つ体術だと思っています。
*1)しかし、そのようなリアリティーを追及する人も居れば、健康の為や運動目的とする人も居て、そんな様々な人達が混合して来ていますので、目的や認識に温度差もあります。
ちょっと難しい話になりますが例を上げます。
合気道には〔短刀取り〕と言う護身術的な技もあり、相手が刃物で襲って来た時の対抗策です。
しかし、実際の稽古では木製の短刀を使ってやりますので失敗しても刺さりませんし、殆ど怖くもありません。
そんな延長線で木製の短刀に対してだけ限定で上手く捌けたとしても、実はそれは動きの練習でしかなく、実は刃物に対する恐怖心を打ち消す訓練には繋がっていません。
どう言う事かと言いますと、木製とは言え(刃物を想定した対抗策)にも関わらず、短刀を奪うために平気で刃先を握ってしまったり、技を掛ける際にも同じように刃先を自分の膝や腹に当ててしまって斬っている人も見受けられます。
実際のところ本物の刃物でやれば、間違いなく自分自身が掛けた技で自分自身が流血してしまいます。
動画などでも観ますが、解説する(教える)側も、実際には危なっかしいものもあります。
これが刃物で襲われる経験をしている人と、未経験者の差から生まれる認識の違いです。
では、本物の刃物で訓練すれば?となってしまいますが、上記の*1)のような様々な目的で来られている環境で行いますので、リアリティーを追及するのも中々難しいのも確かです。
そもそも本物の刃物を突き付けられると、普通の人はパニックになり体が硬直してしまい、まったく動けなくなります。
相手が素人であればまだしも、もしも相手が手練れな場合は間違いなく無理です。
残念ながら、刃物を持った相手への恐怖心に打ち勝つ方法は、やはり経験と実績になります。
では、上記のようなその程度での認識は無意味になるのか?となりますよね。
これは、あくまで事件などに巻き込まれた場合に対しての比較になりますが、結論から言いますと、合気道を学ぶ事は「何もしないよりかはマシ」としか言えません。
しかし、その【マシ】を【遥かにマシ】と格段に底上げする方法はあります。
ようは、教え方と学び方の問題でして、合気道はそれをする人によって強くも弱くもなる武道だと以前にも書いた理由がここにもあります。
例えば、ボクシングのプロボクサーと素人がスパーリングをするとします。
プロボクサーにパンチを当てる事はまず皆無です。
私もボクシングのスパーリングを経験していますので分かる事なのですが、プロボクサー相手に素人さんが挑んでも、1ラウンドどころか30秒も持たないと思います。
プロボクサーは毎日のように専門的なトレーニングと実戦(スパーリングや試合)を何度も踏んでいますので当然です。
それがプロの世界です。
しかし、よくよく考えてみますとプロボクサーと言えども、元々は同じ人間なのですよね。
ですので身体能力を上げるプロのアスリートを育てるような環境があれば可能です。
(根本が違うでしょ。)と思われそうですが、そもそも合気道も体術を学ぶ場ですので、そう言う意味ではボクシングジムと同じようなものです。
その中での大きな違いや要素は、選手とトレーナーの間柄でも決まります。
ボクシングジムの関連記事を引用します。
ボクシングジムを利用しているのはプロボクサーだけではなく、近年は、ダイエットや運動不足解消といった目的で趣味としてボクシングを楽しむ人も増えています。
そういったクライアントを指導する再は、先述のようなプロのボクシングトレーナーは必要ありません。
ある意味、ここも何か合気道に類似しています。
では、遥かにマシとは言いましたが、危険回避能力を上げる方法について書きます。
これは、私の格闘技の使える部分を取り入れた視点であったり、オリンピックのトレーナー経験上から来る稽古方法ですので、他の人が全てがそうでもありませんし、与える側・受ける側の関係性もありますので、あくまで個人的意見です。
まず、窮地に追い込まれた場合、キレイ事なんぞ言ってられません。
自分1人ならまだしも、その場に自分の大切な人が居たら尚更です。
いざ!と言う時の為に【頭ではなく体で動く】が肝心です。
武道の場合は体に体術を馴染ませる。
(体に馴染ませる?)これはまた難しいような事を書きました。
合気道の「理念」を学ぶのは大切ですが、その体術としての「原理」を、まずは教えて行かなければいけないように思います。
ようは、合気道を体術として特化させるには、まず身体能力を上げさせなければいけません。
技ばかりを先行してする稽古よりも、まずは受け身を徹底してやらせる事にしているのは、
それは、身体の反応・俊敏さを鍛える事に繋がります。
反応や俊敏さは、体捌きや技のタイミングにも大きく貢献してくれます。
動きに対する技巧が大きく変わります。
技の説明が長引けば、学ぶ側も頭で理解しようとします。
結果は、頭で考える動きになってしまいます。
頭で考える技はぎこちなく、隙だらけです。
教える側は、初めから技の完璧さを教えたがりますが、本人が不完成で迷っていても、ダメ出しばかりで止めるのではなく、とにかく何度も失敗も繰り返させる事も大事です。
人間は失敗を繰り返して自分自身で気が付く場合、(直そう)と言う気持ちは、回りからの指摘より大きな改善要素に繋がります。
それからでも合気道の理念を学ぶのも遅くありませんし、きっと、そこまで行けば自然に頭に入っています。
理念は頭に。
原理は体に。
これが、プロのアスリートを育てる環境ですし、自らがプロのトレーナーでいなければいけない拘りです。
勿論、稽古に来られる人達の認識の温度差もありますので、相手に合わせる事も配慮も必要ですのでそこまではしません。
しかし、リアリティーから学ぶ事は自信に繋がり【心】も鍛錬されますが、慢心な考えでは体術から得るものは【過信】でしかありません。
自信と過信。
結局は、選ぶのも自分の自由ですし、本人次第で変わって行きます。