心の強い人、弱い人。

 名古屋市の小学校の教員たちが、女子児童を盗撮した画像をSNSのグループで共有したとして逮捕された事件について。

皆さんも、すでにご存じかと思います。 言葉を失うほどの悪質で悲しい事件です。
主犯となった教員は、保護者や子供たちからは「とても優しい先生」として知られていました。 
子供たちの安全を守るために身を挺して努力し、未来を正しい方向に導くべき立場の人間が、自らの快楽のために犯罪を犯し、子供たちやその親に取り返しのつかない卑劣な行為をし、疑いも無く信頼してきた子供たちや、親御さんに大きな不安と心の傷を与えてしまったのです。

誠に遺憾でしかありません。 もう一つ気になるのは、その教員2名だけの責任なのか?周囲の他の教員たちは事前に何も気づかなかったのでしょうか?
まったく罪悪感が無いのか?事の重大さを分かっていないのか。

その加害者のように、(一見、優しい人)が、実は裏では極めて卑劣な行為を平気でしていたという今回の事件。

周りが、確かにそこを見極める事も難しく特に子供たちは純粋が故に疑う事を知りません。


相手に優しく接する人。

上記のような、そんな外面が(とても優しそう)な人の内面について。


一般的に、人は優しくされたり、相談に乗ってくれたりすると、その人は(優しい人)=(良い人)と位置付けされますよね。 実は、その優しさには二つの種類が存在します。 私も大学で心理学を学んでいた際に、非常に興味深く感じた一節で、後の人間関係においても見定める能力として参考になりました。

一つ目は、本当に相手を尊重し、自分は二の次という奉仕の心を持つ人です。 この人は、相手と話す時、まず相手のことを基準(中心)として考えます。

簡単に言いますと、例えば「聞き上手な人」とかが分かりやすいでしょうか。 ただ、そればかりでもありません。

相手が明らかに間違っている場合や悪影響を受けているようであれば、その相手の将来を一緒に考えてくれます。

自分の体裁(こんな事言うと嫌われるかな・・。)とかよりも、相手を親身に思いやり、時には心苦しくても叱ったり助言をしてくれる人です。 親友とは、まさにこんな人ではありませんでしたか? 


もう一つ目は、実は自分に自信がなく、孤立を恐れて相手に気を使うふりをしたり、「私はあなたの味方よ」と偽善を駆使して共感させ、実際にはそうやって自分を守っている人です。

そのような人は、平然と人を裏切ったり、陰で特定の人を貶めようとする為に平気で嘘を付いたり、結局は、自己中心的で自分をいつも優位にしたい願望しかありません。

一見、物腰が柔らかくて言動もソフトな人なのに、会話の中に、特定の相手の評価を下げる言動があったりする人は要注意ですね。


今回の事件には、複数の共犯者が存在したようですし、学校側が黙認したり、見て見ぬふりをしていたとは思いたくありませんが、最終的には負の仲間意識が働き、人の弱い部分を際立たせる結果となった事例です。 


我が少年部も、学校の一クラス並みの人数です。 子供たちも保護者の皆様も、我々を信頼してくださっているからこそ指導員ができるのです。 その気持ちを大切にし、決して裏切ってはいけません。 純粋な子供たちの目を見て、どうしてそんな卑劣なことができるのか? もしも上記のような人が身近にいたら、その負から遠ざけ、身を挺してでも子供たちを守らなければなりません。 我々が行っている合気道は、学ぶ者が心を強くするための修行場ですので、教える側が心が弱いと決して務まらないと私は考えています。


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