感謝の心。
私の空手時代の話を少し。
当時も今と同じように少年部や一般の指導をしていたのですが、大規模の空手流派でしたので稽古中はそれはもう昔から厳格なルールで固められていました。
例えば、礼を欠かす行為があった時点で即退場させられたり、稽古をする事も見ることも許されず道場の片隅で後ろを向いたまま終わるまで正座をさせたり、弟子の方からの発言は一切タブーで、師から何か言われた際のみ「押忍!」での返事しかできません。
内心は厳し過ぎるかなとは思う時もありましたが、道場には50~80人くらい居ましたので統率を取らなければいけません。
では、合気道の話になりますが、少年部に至っては流石にそこまで厳しくはしていません。(笑)
厳格な雰囲気な武道道場と理想を掲げると切りがありませんし、基本楽しく、そこは気楽な感じでも良いと思います。
但し、やはり武道の道場として【礼に始まり礼に終わる。】最低限のマナーは、そこは守らせるべきとも思います。
本来であれば、道場に入場す前に一礼、先生が居た時は真っ先に挨拶、そして同じ仲間達へ挨拶、稽古が終われば「ありがとうございます。」と一礼などなど、それが暗黙のルールで理想なのですが、残念ながらまだまだ全体には浸透されてないのも確かです。
挨拶なども強制でやらせると「やらされている感」で、自発的にしなければ意味がありませんし、以前にも書きましたが、現代の子供たちは我々の子供の頃とは感性が違います。
もう一つ理由がありまして、実は一般会員でもそのような礼儀は殆どできていません。
(大人ができていないのに、何故、僕たち(私たち)がしないといけないの?)
子供たちから思えば、当然そうなります。
中には、例え有段者でも言動が相手に対し失礼極まりない人も居ます。
(合気道で何を学んできたの?)と、私でさえも憤りを感じます。
大人になると生活環境で人格形成が既に出来上がってしまいますし、その手の人は自分では気が付いていない場合が殆どですので仕方無いのですが、道場内と言うより最低限の人間同士の礼儀を弁えるべきで、【我】を発散したけれは稽古外でしてもらいたいものです。
「仕方ない。」との話になりましたが、では子供たちにもそれで済ませるのか?となりますが、決して同じような【我】が先行するような無礼な大人にはなって欲しくありません。
保護者の皆さまも同じ考えではないかと思います。
では、「挨拶をしなさい!」「礼儀をしなさい!」と強制的に躾けるのもダメで、しかし、何でもかんでも自由気ままに(我がまま)を許し、妥協した稽古にしてしていまわないようにするには?となりますよね。
まず私が着目したのが「全てにおいて感謝する。」感情豊かな子供たちに、その感謝気持ちを無意識に表現できるように促す事が必要なのかと考えました。
人格形成というのは、ご家庭での環境で構築されていきますが、補佐的要素としてアプローチし、子供たちの感情表現が良い方向へ向かう手助けになれたらと思いました。
実は、日頃から当たり前のように思っている事には様々な感謝が隠されていますよね。
一緒に稽古を頑張った仲間達に感謝する。
技を教えてくれた先生に感謝する。
忙しいのに車で送り迎えしてくれたり、道着を買ってくれたり、お父さんお母さん、お爺ちゃんお祖母ちゃんに(ありがとう。)と感謝する。
日頃から大人でも子供でも、当たり前のように感じてしまい「ありがとう。」の気持ちが例えあったとしても、それを表現する事が少なくなってきているように思います。
昔と今での感性の違いを書きましたが、感謝する気持ちは昔も今も誰にでもある感情です。
その当たり前だと思っていた事を、改めて子供たちに気づかせてあげて、その感謝の感情を大きくしてあげる。
そのために、まず我々指導員が「合気道を学びに来てくれてありがとう。」「出会ってくれてありがとう。」と、心からそう思い、優しくも厳しくも、それを忘れずに接すれば、子供たちにも必ず伝わります。
そんな感謝が溢れた環境(道場)で子供たちに稽古を通して過ごしてもらえば、「ありがとう!」や「こんにちは!こんばんは!」と素直に言える感情豊かな人格は、強制せずとも当たり前のように出て来るものだと私は思います。
現在の少年部でも、とても良い傾向が見られてますので、この考え方も決して間違えではないようですし、焦らず諦めず、ひとつづつ進めています。