合気道を学ぶ子供達と我々の責務

合気道を教える「先生」と呼ばれる立場になると、その人には責務というものが付いてきます。


特に少年部も担当することは、親御さんから「大切な我が子」をお預かりするわけですので責任重大です。


道場では私たちと子供たちとの実際の稽古風景を、保護者の皆さまは見る事ができませんので(どんな感じなのかな?)と思われる時があるかも知れません。


ですので、我々の活動をより深く理解していただけるように、このブログを立ち上げました。



私の場合は、大学で体育学科でしたので運動系やメンタルヘルスに関して学んだ事や、長い間様々な教え子たちとの経験が今も役に立ってくれてます。

逆に子供たちからは元気をもらい、成長して行く姿を見ていける幸せも感じれますので、お互いのウィンウィンの関係性が築かれている道場です。



  1. 1.(子供たちとの接し方)

  2. 子は若木のように育てよ。 

「矯めるなら若木のうち」とも言いますが、悪い癖や欠点を直せるのは、柔軟性のある幼少のうちで、成長してからでは直しにくいものです。 

 

時には雷雨や突風に晒され、そして、雨上がりの穏やかな晴れなどを繰り返す事で 若木はいずれ根をしっかり張った立派な大木に育ちます。


 稽古中、もしもふざけていたり、他の子供たちに悪影響を及ぼす事や怪我につながる危険性があれば、遠慮無くしっかり叱っています。


叱って話して納得させ、逆に良く出来たり頑張っていたら大絶賛して褒めます。

これが子供たちの自己肯定感を上げていく事に繋がると信じております。

 

2.(稽古で教えている事)

動作は俊敏に、そして裂帛の気合の如く。 

「常に元気良く、大きくのびのびと動かせる。」そして、技は裂帛の気合で「エイ!」とシャープに!

 

合気道の指導者の中には「呼吸法を使いこうやるんだ。」「力は必要ない。」「体は鍛えなくてもよい。」などと教えようとする人がたまに居るようです。


指導する自身が自己鍛錬を疎かにしていて、それを(体を鍛えなくても合気道はできる)という言い訳にしているように私は感じ取れます。


ですので、子供たちには、初めは力いっぱい元気に気合いを入れて動いてもらい、年齢に合わせてですがしっかり体を鍛え、健康になってもらう為の指導をしています。


そこから、「力は必要ない」については、本人が合気道が好きになり、一生懸命続ければ(無駄に力んでしまうと動きが硬くなり、相手に技が上手く掛からない。)と、自ずと気が付く時が必ず来ますから、それからでも十分です。


私は「力は必要ない。」の言い方ではなく、「筋力のコントロール」と教えています。

 

 3.合気道の理念「相手と争わない」「勝ち負けは必要ない」


これも合気道を実践している方々は必ず耳にする言葉です。 しかし、(なぜそうなのか?)という理念に対する理由も、実はこれも人によって異なります。 私の場合は、その理念に近づくために自分をとことん鍛え強くなり、その強さの経験値から、その先にある威風堂々とした姿勢、礼節を重んじる凜とした立ち振る舞いかと思っております。 私自身、そうなれるように修行しています。 とは言え、そんな自分の考え方を無理に子供たちに押し付けるのも違います。 結局は、自分が信じて歩み続けている姿を子供たちに見てもらい、何かしら共感してもらえるように、そして今まで学んできた経験や得た知識を惜しみなく伝える。 子供たちがいずれ自覚を持って本当に合気道を楽しみ、その合気道から礼節や人に対する優しさ、慈しむ精神力を自分自身で掴み取るためのきっかけ。 そんな架け橋になれればと願っております。



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