教え上手になるという修行

 「教えることは、自分が一番学ぶことである。」

私は年齢を重ねるほど、この言葉の重みを実感するようになりました。

合気道は、技を覚えることだけが修行ではありません。

本当の修行は、誰かに技を伝えようとしたときに始まります。

「なぜこの技になるのか。」
「なぜこの姿勢なのか。」
「なぜ力ではなく、身体の使い方なのか。」

教える立場になると、このような問いを受ける機会が増えます。

そのたびに、自分では理解しているつもりだったことが、実は十分に理解できていなかったことに気付かされます。

「分かっていること」と、「相手に分かるように伝えられること」は、まったく別のものです。

だからこそ、教える者は誰よりも学び続けなければならないのだと思います。

しかし、指導にはもう一つ大切なことがあります。

同じ言葉、同じ教え方だけを繰り返していては、やがて相手の成長も、自分自身の成長も止まってしまいます。

子どもには子どもの伝わり方があり、大人には大人の伝わり方があります。

十人いれば十通りの理解があり、昨日伝わらなかったことが、今日のたった一言で伝わることもあります。

だから私は、伝える言葉を選び直し、稽古の進め方を考え直し、自分自身も新しい学びを求め続けています。

それは、合気道の本質を変えるということではありません。

本質を守るために、伝え方を進化させるということです。

一方で、指導者という立場に立つと、「教える側」と「教わる側」を分けて考えてしまう人もいます。

しかし、本当にそうでしょうか。

経験を重ね、段位が上がるほど、知らず知らずのうちに、そのように考えてしまうことがあるかもしれません。

教える立場になったからといって、学ぶ立場を卒業できるわけではありません。

もし「もう十分に知っている」「これで完成した」と思ったなら、その瞬間から修行は止まります。

武道に終わりがないように、学びにも終わりはありません。

だからこそ、指導者に必要なのは、経験や段位ではなく、昨日の自分を超えようとする謙虚な姿勢なのだと思います。

だから今日も学び、考え、子どもたちと向き合います。

子どもたちに合気道の楽しさや奥深さを伝えることは、もちろん私の役目です。

しかし、それ以上に、子どもたちの素直な疑問や真っすぐな姿勢に、私自身が気付かされ、育てられています。

教え上手になること。

それは、人に認められるためではありません。

自分自身を磨き続けるための、終わりのない修行です。

そして、真の指導者とは、人を導くことだけを目指す人ではなく、自ら学び続ける姿で、人を導ける人なのだと私は思っています。

今日もまた、子どもたちとともに学び、ともに成長できることに感謝しながら、道場に立ちたいと思います。

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