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所作

 最近の子供たちは、「こんにちは!」と元気に挨拶してくれます。 その一言で(よし!今日も子供たちのために頑張ろう!)と仕事の疲れも吹っ飛び、清々しい気持ちにしてくれてます。 本当に有難い事です。 私には、とても大切にしている事があります。 合気道のみならず武道には「礼に始まり礼に終わる。」と言うものがありまして、所謂、(礼節を重んじる。)を自分の理念としています。 つい先日、少年部に来てくれる高校生が、そんな挨拶についての質問をして来ました。 「先生方には挨拶した方がいいのですか?」 「普通はそうでしょ。」と即答ぜず少し考えました。 自分の普通と他人の普通の違いなのだろうと思います。 実は一般部などでも挨拶などは、(さらり)としていまして、どちらかが挨拶すれば返す程度でしかしていません。 大人同士はそんな感じですし、挨拶をする事も相手に押し付けるものでもないので、したりしなかったりと、そんな感じです。 (稽古中の礼はします。) しかし私は、一般部の稽古に来られる会員の皆さんに対し、上下関係無しになるべく私の方から挨拶と声掛けをして回っています。 昔からそれが自分のスタンスですし、礼儀と言うか普通にそうしてます。 願わくば、その高校生にもそうですが、これからの子供たちには是非学んで欲しい流儀でもあります。 そもそも挨拶・礼儀なのですが、相手に感謝の気持ちを伝えられる力、人を尊重し物を大切に できる力、規律を守れる力、と大切な要素を含んでいます。 これは皆さんもご存じかと思います。 礼節なくして武道無し。 これは私の考えなのですが、何故かと言いますと、挨拶は相手に対する【所作】になりますが、礼儀のスタートである所作は武道にも大きな繋がりがあります。 少年部では【構え】【残心】を徹底させていまして、この【構え】こそ、実は挨拶と同様【所作】となるのです。 所作をまともにできない動きは、それは武道ではありません。 そして、武道を学ぶ者の意義(稽古中だけ所作を気を付ければ良いが、しかし日頃の生活の中ではそんな事は気にしない。)なども変な話です。 こんな感じで「礼節と武道は切っても切れない間柄で、常日頃から礼節を弁えている人こそ武道家なんだよ。」と本人に説きました。 その答えに、高校生もそこで初めて納得したようです。 子供の頃は、先生に「元気に挨拶しましょう!」と言われ、...

頭で動く。体で動く。武道の心髄はどちら?

型を学ぶなら体感で学べ。 考えで型を追い求めず。 全て学び、全て忘れる。 そして、拘りを捨て独自のやり方を見つける。 これは、私が昔から弟子に教えていた【守・破・離】の原則です。 ようは、【形に嵌るな。】そんな意味です。 合気道と言うか、全ての武道に共通しているのですが、 【頭で動く】のではなく【体で動く】と前回書きましたが、 体で動く?についての疑問について、今回はもう少し深く掘り下げて進めて行きましょう。 その前にまず、脳のシステムなのですが動きには2種類あります。 遅くて意識的に努力しないと働いてくれない、熟慮的な思考プロセスを担当する 。 【システム1】 素早く自動的でしかも無意識的に働く、直観的な思考プロセスを生み出す。 【システム2】 真新しい事や未経験な事をしようとすると、脳はそのデーターを分析して、そこから各部位に(どのように動け!)と指示を出します。 これが 【システム1】 です。 このやり取りは、実際には視覚・聴覚などから脳に信号を送り、脳からの指示に体の タイムラグが生じます。 それが【頭で動く】と言う事になります。 では、例えば 熱いものをさわった時に「熱っ!?」手を引っ込めたりしますよね。 これは(屈曲反射)と言いまして、 手足や体幹の感覚情報は脳に行く前に脊髄を通る 【 体で動く】=【システム2】 になります。 これがを使うのが【防御反射】と言います。 そして、通勤や通学の慣れた道を歩く場合、頭で(次は左折しないと!)考えながら歩きません。 【無意識に動く。】 これがそうです。 簡単にまとめますと、稽古でする技の動作など日常ではしませんが身体の動き自体を 習慣化のように工夫し、脳の システム2 を上手く使えるように稽古に落とし込めば 俊敏さとか反応の良さは日常の動作にも影響して来ます。 俊敏さや反応の良さは、体と脳のレーダーが通常の人より早く入るように準備していますので 体に無駄な動きをさせません。 いつも物静かで落ち着いている人が、実は結構それに属します。 私が稽古で子供達に教えようとする意図はここにあります。 子供の今うちは活発で元気で良いのです。 素直で活発な精神はいずれポジティブ思考に繋がり、大人になり 【凛とした姿】 になって欲しい願いでもあります。 勿論、個人差もありますので100%とは言えませんが、正しい道筋を学びそこまで行...

武道・武術に対するリアリティー。

 最近のニュースで、若い女性が白昼堂々と自宅前で殺傷されるという痛ましい事件がありました。 九州でも同じようなストーカー殺傷事件がありました。 ストーカーなどの被害者の方々は何度も警察に相談をしていますが、警察は事件にならないと動けませんので、相手に対して注意勧告くらいしかできないのが現状です。 異例で接近禁止命令などもありますが、理性の制御ができなくなった若者が「はい!分かりました!二度としません!」と、その場では言っても実際に素直に従って改心するとも限りません。 大きな過ちを犯してしまっても、ゲームのように人生を【リセット】できるとでも思っているのでしょうか、何とも嘆かわしい事が最近目立つ御時勢です。 対する被害者側ですが、過去に怖い経験をされた人や、いじめや暴力に対し弱い立場の人達が、そんな時に自分の身を守るためにと考えて行くと、防犯グッズもそうですが、他にも「武道をやってみようかな・・・。」などの選択肢があったりします。 いきなり打撃系はちょっと怖いイメージでしょうし、そんな時の手頃な護身術の代名詞として上がるひとつに合気道がありますよね。 では、今回はその武道に対してのリアリティーについて書いてみようと思います。 事件など多発している現状に対してのブログですので、少々ディープな内容になりますがご容赦ください。 合気道の理想は、 争う事を無にする 事を主体としています。 襲って来た相手と戦うのでは無く、相手の攻撃を静止させる、所謂、相手を制圧する。 私も実戦からの利害性を知っていますので、確かに相手の戦意喪失を促すのには、合気道は特化している武道と思います。 ですので、 熟練すれば 非常に役立つ体術だと思っています。 *1)しかし、そのようなリアリティーを追及する人も居れば、健康の為や運動目的とする人も居て、そんな様々な人達が混合して来ていますので、目的や認識に温度差もあります。 ちょっと難しい話になりますが例を上げます。 合気道には〔短刀取り〕と言う護身術的な技もあり、相手が刃物で襲って来た時の対抗策です。 しかし、実際の稽古では木製の短刀を使ってやりますので失敗しても刺さりませんし、殆ど怖くもありません。 そんな延長線で 木製の短刀に対してだけ限定 で上手く捌けたとしても、実はそれは動きの練習でしかなく、実は刃物に対する恐怖心を打ち消す訓練には繋...