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子供たちと私たちの関係性。

以前も書きましたが、 少年部の稽古では基本楽しく、のびのびと動いてもらえるように指導をしています。 そして、力いっぱい元気良く!特に男の子は、大きな声で「エイ!」と掛け声をかけさしたり、その繰り返しで、日頃使わない体の部分を鍛える事もできますし(発声)呼吸器官にも刺激を与えてくれます。 そして、合気道の技を受ける側も若干痛みを伴いますので体の耐久性も上がってきます。 子供たちにとっては良い事尽くしの合気道ですが、我々指導員には決して間違えてはいけない注意点もあります。 成長期に合わせた指導方法がとても大切で、所謂、大人と同じような稽古方法では子供たちの体にも精神的にも過剰な負荷が掛かり逆効果になりかねません。 逆に、何でもかんでも「子供だから・・・。」と配慮ばかりでも、今度は中途半端な稽古内容になってしまいます。 子供たちの中には、身体能力や理解能力がとても高い子も居ますので、その特化した能力を引き出す手助けもしてあげれることも理想です。 少年部の指導者は人体構造の熟知や個々の能力を見定めるスキルがとても必要になり、特に成長期の子供たちには需要になってきますし、やり方を間違えると先々大変な事になります。 例え合気道ベテランで技を豊富に知っていても、それだけではダメと言う事なんですね。 そして、子供たちに稽古を飽きさせない工夫も必要で、時には冗談を言ったり、話を聞いてあげたりする事も非常に大切だと思います。 小さな子供に対し、立ったまま見下ろし一方的にしゃべるような大人ではいけません。 自分も屈んで目線を合わせて話す。 当たり前の事なのですが、以外にもそれができない大人も少なくないんですね。 子供たちにとって我々は一期一会であり、保護者様達の願いに応えれるような、合気道のベテランの前に人生観のベテランにならなければいけないと常に思っています。

集団心理。

  例えば、清掃活動や募金活動などを一般的に望ましいと思われる行動でも、1人だと不安や恥ずかしさから実行できないことはあると思いますが、これが集団になると実行しやすくなったりします。 このように、1人では行わないことでも集団でなら実行できる(してしまう)といった集団心理の作用は、協力関係が生まれたり、善意の行動が促進されたりするなど様々なメリットをもたらします。 しかし、その半面、行動が過激になったり、冷静な判断ができなくなったりする場合もあり、いじめの発生・維持につながるなどリスクやデメリットも存在します。 合気道の少年部でも、低学年から高学年まで年齢差がある子供たちが集まる集団であるとともに、現代の子供たちの集団行動性は我々の時代とは異なります。 例えば、現代の子供たちによくある言葉使いなど、私にタメ口で話して来る子供もいます。 本当はダメなんでしょうが、私は何とも思いません。(笑) 人によっては「なんだ!その言葉使いは!?」と頭ごなしに叱る人も居ますが、これには集団行動、例えば学校やお友達同士の集まりなども影響しますので、その場で個人だけをきつく叱っても逆効果でしかないように思います。 とは言え、言葉使いや礼儀は、本人たちにも今後大切な事になって行くのも確かです。 稽古中には厳しくしている事があります。 技の練習中に、「悪ふざけ」をしている子供に対しては烈火のごとく叱ります。 勿論、年齢的な配慮もしつつですし、叱ると同時に「何故なのか。」もちゃんとその子供には説明もしますが、ようは、一生懸命に稽古をしようとする他の子供に悪影響を与えてしまうからなんですね。 例えば、新しく入会して来た子供が「あの子が遊んでるなら私もいいのかな?」と思ってしまったりしてしまうと、それはもう合気道の稽古ではなくなりますし、そもそも稽古では2人1組がほとんどですので、一方がふざけていると、懸命に技を覚えようとする相手の大切な時間を無駄にしてしまいます。 ですので、我々の事は二の次で、子供たち同士の影響にはしっかり対応するようにしています。 幸い、今では改善されていますし、ほとんどそのような事は無くなりました。 現代の子供たちの集団生活による影響力も加味しつつも、育って行く子供たち自身の考え方をより良いものにできるように合気道を通して導いてあげれる事が寛容であり、我々の願いでも...

一に受け身、二に受け身。

合気道の稽古についてですが、【受け身の練習3割】=【技の稽古7割】で進めていて、ほとんどが受け身を少し教えて、技の練習のような道場が多いように思います。 しかし私は、新たに入会してきた子供には徹底して受け身を教えます。 何故かといいますと、受け身が上達すれば、同時に技の上達への手助けになるからなんですね。 本来、合気道の(本当)技は、受ける側が我慢して無理に耐えてしまうと関節を痛めたり、受け身が未熟だと後頭部を打ち付けたりと怪我をする恐れがあります。 なので技をかけられた際、瞬時に反応して受け身を取れるようにしなければいけません。 その繰り返しで、反射神経も瞬発力など、ようは脳が体への伝達信号(瞬時の判断能力)が向上してきます。 だから、その反応の良い身体を持てるようになれば、当然比例して自ずと技が上達するのです。 しかし、いくらキレイな受け身が取れても、「投げられた、はい受け身を取れました。」の繰り返しだけでは、所謂、形だけの練習になってしまいます。 合気道は、「あらゆる面も想定して、身を守る術。」であるはずですので、「隙の無い鋭い受け身」を覚えなければいけません。 それには体が柔らかいだけではダメですし、必要に応じてその部位の筋肉が「バネ」になってくれないと、「隙の無い鋭い受け身」は完成しません。 子供たちの身体レベルに合わせながらの体づくりを推奨するのは、そのような意図があるからなんですね。 勿論、我々教える側がその受け身レベルに達していなければ、お手本を見せたりして教える事ができません。 年齢を重ねると老いと共に腰が伸びたり体が硬くなってしまい、ゆる~りとした受け身しか取れなくなってしまう人も居ますので、そうなると、自分の苦手意識からか、受け身の必要性もあまり考えなくなり技に先行してしまう稽古(技7割)になる理由はそこにあります。 子供特有の柔軟性のある体のうちに、しっかり受け身を覚えさせてあげて、そこから技の上達こそが、本物の稽古であり、怪我をしない稽古であり、子供たち自身の役立つ身体作りに繋がって行くのだと私は思います。

合気道を学ぶ子供達と我々の責務

合気道を教える「 先生」と呼ばれる立 場になると 、その人には 責務 というものが付いてきます。 特に少年部も担当することは、親御さんから「大切な我が子」をお預かりするわけですので責任重大です。 道場では私たちと子供たちとの実際の稽古風景を、保護者の皆さまは見る事ができませんので(どんな感じなのかな?)と思われる時があるかも知れません。 ですので、我々の活動をより深く理解していただけるように、このブログを立ち上げました。 私の場合は、大学で体育学科でしたので運動系やメンタルヘルスに関して学んだ事や、長い間様々な教え子たちとの経験が今も役に立ってくれてます。 逆に子供たちからは元気をもらい、成長して行く姿を見ていける幸せも感じれますので、お互いのウィンウィンの関係性が築かれている道場です。 1.(子供たちとの接し方) 子は若木のように育てよ。   「矯めるなら若木のうち」とも言いますが、悪い癖や欠点を直せるのは、柔軟性のある幼少のうちで、成長してからでは直しにくいものです。     時には雷雨や突風に晒され、そして、雨上がりの穏やかな晴れなどを繰り返す事で   若木はいずれ根をしっかり張った立派な大木に育ちます。  稽古中、もしもふざけていたり、他の子供たちに悪影響を及ぼす事や怪我につながる危険性があれば、遠慮無くしっかり叱っています。 叱って話して納得させ、逆に良く出来たり頑張っていたら大絶賛して褒めます。 これが子供たちの自己肯定感を上げていく事に繋がると信じております。   2.(稽古で教えている事) 動作は俊敏に、そして裂帛の気合の如く。   「常に元気良く、大きくのびのびと動かせる。」そして、 技は裂帛の気合で「エイ!」とシャープに!   合気道の指導者の中には「呼吸法を使いこうやるんだ。」「力は必要ない。」「体は鍛えなくてもよい。」などと教えようとする人がたまに居るようです。 指導する自身が自己鍛錬を疎かにしていて、それを(体を鍛えなくても合気道はできる)という 言い訳にしているように私は感じ取れます。 ですので、子供たちには、初めは力いっぱい元気に気合いを入れて動いてもらい、年齢に合わせてですがしっかり体を鍛え、健康になってもらう為の指導をしています。 そこから、「力は必要ない...