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十把一絡げにしない――指導するうえで大切なこと

 「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」という言葉があります。 それぞれの違いを考えず、すべてをひとまとめにして同じように扱う、という意味です。 合氣道の稽古では、同じ技を学んでいても、体格、年齢、経験、性格、理解の速さは一人ひとり違います。 少年部には、活発な子、大人しい子、集中力のある子、緊張しやすい子がいます。それぞれに長所があり、成長の速度も異なります。全員に同じ教え方や同じ結果を求めても、良い指導にはなりません。 これは一般部でも同じです。 若い人もいれば年配の人もいます。武道経験のある人、初めて道着を着る人、健康づくりを目的とする人、技を深く追究したい人など、合氣道を始めた理由や目標もさまざまです。身体の柔軟性や筋力、過去のけがにも違いがあります。 初心者だから何も分からない、有段者だから何でもできる――そのように段級位や経験年数だけで判断することも、十把一絡げの見方です。 同じ技を指導する場合でも、初心者には基本となる足さばきや安全な受身から伝え、経験者には技の理合いや間合いをより深く考えてもらうなど、相手に応じた工夫が必要です。 ただし、一人ひとりの個性を尊重することと、武道としての基本を曖昧にすることは別です。 合氣道は武道です。道場は、仲間と楽しく稽古する場であると同時に、礼節を学ぶ場でもあると、私は考えています。 武道の稽古には「修行」という一面があります。所作や挨拶、稽古相手への配慮を身につけ、自分自身を高めていくことも稽古の一部です。 一人ひとりの個性や稽古の目的は異なっても、相手への礼儀や配慮は、その「修行」において最も大切なことだと私は思います。 これは技にも通じます。 一つの形だけが正しいと決めつけるのではなく、基本を守りながら、相手の体格や動き、その場の状況に応じて変化する。合氣道とは、相手と力でぶつかるのではなく、その力や動きを感じて導く武道だからです。 指導も同じです。 時には厳しく伝えた方が伸びる人もいれば、まず自信を持たせることで伸びる人もいます。しかし、大切なのは、自分のやり方を一方的に押しつけるのではなく、目の前の相手をよく見て、その人の可能性を引き出すことです。 それが、人を十把一絡げにしない指導なのだと私は思います。

基本に立ち返る時間

  先日、一般部の指導をする中で、基本について皆さんと一緒に考える時間がありました。 合気道には、さまざまな技があります。 同じ技でも、教える人や稽古する人によって、動きや考え方には少しずつ違いが生まれます。経験を重ねるほど自分なりの工夫が加わり、技の幅が広がっていくことも、合気道の面白さの一つです。 一方で、技の幅が広がるほど、基本へ立ち返ることも必要になります。 構え、姿勢、足運び、間合い、相手とのつながり。 どれも目立つものではありませんが、技を支える大切な土台です。 形の順序を覚えていても、姿勢が崩れれば力に頼った動きになります。足運びが曖昧なら距離が合わず、崩しを急げば相手とぶつかります。小さな違いでも、重なれば技全体に影響します。 応用や変化技を稽古することも大切です。しかし、応用は基本と別に存在するものではなく、基本を学び、その意味を理解した先に生まれるものです。 基本が身についていない段階で多くの応用を重ねると、技の中心が分かりにくくなり、相手や状況が変わったときに技が安定しません。 だからこそ、まず基本を丁寧に確認し、そのうえで少しずつ応用へ進む。この順序を大切にしたいと考えています。 少年部では、構えや足運び、受け身といった基本を繰り返し練習しながら、成長に応じて少し難しい技や応用にも挑戦してもらいます。 初めて見る技や複雑な動きを前にすると、子どもたちの目が輝きます。 最初は思うようにできなくても、何度も試し、考え、一生懸命に取り組みます。 できなかったことが、少しずつできるようになる。 その喜びと挑戦する気持ちが、「合気道は面白い」と感じるきっかけになるのだと思います。 基本を繰り返す大切さは、子どもにも大人にも共通しています。 年齢や経験、級や段位にかかわらず、基本を卒業することはありません。 経験を重ねれば、自分なりの技や考え方が形づくられます。 しかし同時に、それが正しいと思い込んでしまうこともあります。 これは高段者に限らず、私自身も気をつけなければならないことです。 私が合気道を始めた頃に通っていた道場では、とにかく厳しく基本をたたき込まれました。当時はついていくことで精一杯でしたが、今になって振り返ると、繰り返し教わった基本があったからこそ、今の自分があるのだと思います。 指導するときには相手の様子を見ながら、「今はここま...